2010年10月07日

アイが世界を滅ぼす

ども、愛の狩人、紅閃光です。
ごめんなさい、ウソです。ハンターじゃないです。

ドラゴニカギルド星辰の円環のギルドサイトを立てたものの、ほかの人はあまりコンテンツを追加してくれないのでかけもちでソロプレイヤ状態です・・・
こちらの更新も滞ってしまい、更新チェックしてもらってる人たちにはホントごめん。
こちらの更新も週1・・・10日に一本を目指して頑張るので、気長にお待ちください。
たまにきたらちょっとおもしろい、ようなネタを提供できるように鋭意努力するんだからっ。


さて、毎年8月になると、原爆記念日とか終戦の日・・・おっと、原爆の日とか終戦記念日関係でいろんな番組をやっています。
8月末には某日テレで24時間テレビとかもやってるね。
結局のところ彼らが言いたいことは、戦争は悲惨で残酷だ、理性があって、人を愛する心があるのなら、戦争を永久に追放できないはずがないじゃないか、と。


それは、はたしてどうだろ?



すわ愛とはなんぞや?
たまに恋と愛の違いということで、「恋はしたごころ、愛とはなかごころ」といったり、「恋は自分のため、愛は相手のため」ともいったりします。
結構聞いたことのある人も多いでしょう。
わたしもなかなか含蓄のある言葉だとは思います。

愛とは、なかなかに幅が広いもので、古代ギリシャでは、愛を表す単語が4つあったようです。
「エロス:性愛」、「フィリア:友愛」、「ストルゲー:家族愛」そして「アガペー:神の愛」です。

エロスは本能(煩悩)に近いところにあるので今は華麗にスルーしますが、一般的に言われる愛はほとんどの場合フィリアかストルゲー的な意味です。
フィリアはなぜか時代をくだると性愛の意味を持つようになり、ペドと合体することで本来の意味とは限りなく遠い意味となってしまったので、これも華麗にスルーします。
⊂(゚ー゚*⊂⌒`つ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
性愛を除くと、愛とは、アガペーとそれ以外というように分けることが出来ます。

アガペーとは赤の他人に向けられる愛です。性別も年齢も国も星も関係ありません。
アガペーでない愛とは、家族、血族、友人、知人、同郷人、同国人という範囲にはいればそれだけで、他よりも多く向けられる愛です。同宗教や同校、コミュニティの仲間意識もこちらに含まれます。

見方を変えれば、アガペーとは「対象を区別しない愛」です。家族も、恋人も、赤の他人と差がありません。
そして、アガペーでない愛とは「自分を基点として範囲を決める愛」です。自分を含むある集団の内側と外側には明確な差があります。
その範囲が広いか狭いかだけの違いです。

アガペーでない愛、人類の戦争の原因はこれです。
自分を基点とした愛の範囲は概念的には肥大化した自己愛といえます。範囲に入らないものは他人となり、愛で保護されません。
身内のための自分を捨てた奉仕は一見自己愛と真逆の行動に見えますが、その集合意識を俯瞰したら自分のための行動に他なりません。
身内のために何かした場合、今のせまい社会の中では他人の不利益になることも少なくありません。
それは災害などで、食糧が限られた場合、他人を押しのけて身内の糧を得る行為につながります。

では、アガペーで戦争は止めれるか?
これはYESです。
だけど。
どけど、アガペーのもとでは、家族も恋人にも意味がありません。家族と他人が同じ価値なのですから。
アガペーの元では自己保存すら優先度が下がります。むしろ、大多数の中のひとりとしてみたら、自分より他人を優先するようにも見えます。
こんな人が家族だったらどうでしょうか?
はい、一緒に生活できるはずがありませんね。
アガペーで戦争は無くなるかもしれませんが、家族も無くなります。


本当に、愛で世界が救えると思いますか?


まぁ、あるいは実際には100%アガペーとかまたはその逆とかはあり得ないので、バランスの問題かもしれませんね。
アガペー率が半分以下なら、世界の形は今とそんなに変わらないのでは。

いま、世界平均のアガペー率が5%程度だとして、10%程度になるだけで、世界の戦争は終わるかもしれません。
しかし。
そのさきに地球に訪れるのは、途上国の人口増加と世界的な食糧危機です。
自己保存本能が高まればアガペーは引っ込むでしょう。


やはりどうしても愛で世界が救えるとは思えませんね。

マスゴミは「愛」を連呼するのはやめて頂きたい。


なーにが愛ですかっ恥ずかしい! (byアビ)



といいつつ、愛というなればやはり先ほど華麗にスルーした「友愛」を避けては通れないでしょう。
もちろん、ここでいう「友愛」とは某政党の誰かさんが叫びまくっている「友愛」とはまったく違います。
彼らのいう友愛とは、社会主義的な意味でみんなで痛みを分かち合おうというものです。
本来の友愛とはそんなもんじゃない。


其の者、蒼き衣を・・・

そう、あの人を忘れてはいけないっ

「其の者、蒼き衣を脱ぎ捨て、金色の野に降り立つべし」

そう、来たぜ、ゼンラーマン!!!

・・・あれ?

違う違う、それじゃない。
ちなみにゼンラーマンが降臨する、ミスマルカ興国物語のアニメはどうなったのかな?
まぁそれはおいといて。


らん・・・らんらら・・・

それだ!

らん・・・らんらるんるー

なんかちょっと違う!


「其の者、蒼き衣を纏いて、金色の野に降り立つべし」

そう、ナウシカたんですよ!

たん、じゃない。なんかへんなの感染したかな・・・


ナウシカが唱える友愛は、先ほど述べた利己愛とも利他愛とも違うような気がする。

ナウシカともあろう人でも、根源的に自分を含めた家族やひいては人類のために生きている。
たとえ人間が滅ぶべき邪悪な存在だとしても、腐海や王蟲が人間に造られた不自然ななまものだとしても、生きていたい、生きていく権利があるのだと、そう言ってました。
家族(風の谷の人々)は別格だけど、それ以外の人間は、同盟国であるトルメキアの人も、敵国であるドルクの人も、あるいは蟲使いであっても、蟲そのもにに対しても等しくふれあいます。時には厳しく、時には優しく。
そこに愛があるのは間違いがない。
他人に注ぐ愛は結局自分にかえってくることをナウシカはわかっている。ちょっとちがうか。そう、自分達が生きるためにはいろいろな存在が必要だとわかっている。世界が必要なんだと。
それが、真のフィリアなんじゃないかと。それは「友愛」というよりむしろ「世界愛」といったほうがふさわしい気がする。
それは他者を否定することではなく、ただ認めることなんだと。ともすれば「ただ生きているだけで素晴らしい」という間違った解釈もされそうなところだけど。
そこには生きたいという意思が重要なはず。

そして確かに、ナウシカは世界愛で戦争を止めることが出来たんだ。
そんなナウシカでも自分のエゴと向き合いながら生きていくことを選んだんだ。
もちろん、ナウシカの物語はフィクションだから、現実の愛とは一致しないと切って捨てることはたやすい。
それでも、虚構の世界にこそ、純粋な愛が顕れるんじゃないかな。

自己愛が世界を滅ぼすのは間違いないことだと言っていいでしょう。
なにをしでかすかわからない北の国のあのジョン君も、あんな顔してて息子が可愛いわけさ。
その家族に対する愛が、日本のライオン総理のものとほとんど一緒なんだ。
平和な国であろうとなかろうと、破滅の扉はすぐそばにいるよ。
だけど、人々がそれぞれ少しずつでも神の愛や世界愛を発揮することで、世界が滅びない道があるんじゃないかと願わずにはいられない。


食糧問題に関しては・・・また別の機会に。





そういえば、以前の記事で、大気圏の中の熱圏は1000℃以上になるから、ゼンラーで大気圏再突入することは自重した方がいいといったニュアンスの記事を書きました。
ごめんなさい、ウソでした。勘違いしてました。

確かに気温(空気分子の熱エネルギー)は高いのですが、空気がものっそ薄いので、その熱エネルギーはほとんど伝わらないのです。
つまり、同じ空間容積に対する熱エネルギー量が少ないということです。
地表では気温15℃のとき、1000gの空間容積が持つ熱エネルギーは約354kJになるんだけど、
高度150kmでは気温は1000℃とはなるものの、1000gの空間容積が持つ熱エネルギーは約0.0004kJとなるのです。
つまりどういうことかというと、やっぱり寒いわけです。

体積式温度計(水銀とかアルコール系の液体の体積変化に依存する体温計)は、比熱が地表と同じであることを前提としているので、熱圏に持っていっても正しい気温は測れません。
単純に地表よりどれぐらい暑いか寒いかという見方をするなら使えるけどね。

とにかく、熱圏は「寒い」。
そういう意味ではやっぱり、ゼンラーで大気圏再突入するのはいくない!


それでは、今日はこの辺で。
お湯カレー。

posted by 紅閃光 at 05:55| Comment(1) | TrackBack(0) | そのほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ただいま引越し中・・・
Posted by 紅閃光 at 2010年11月17日 19:58
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